16: 冷めゆく38.1度

何年前の秋から冬への過渡期だったでしょうか.

その当時もインフルエンザ、風邪が流行っていてすれ違う人が皆、風邪をひいてしまってマスクをしている人か、風邪にならないように予防でマスクをしている人か見分けがつかないような顔ぶれ.

例年に比べ気温が低い日が続いていたにも関わらず、"大丈夫だろう"と油断して薄着をしてしまっていたわたしは、まんまと前者、つまり"風邪をひいてしまってマスクをしている人"の仲間入りをしてしまった時の話です.

 

その日は特に冷え込んで厚く重い雲から今にも雪が降りそうな空模様、底冷えからくる寒さと思いこんでいた寒気が、風邪による悪寒だと気づいたのは昼前のことでした.

気づいた時には時すでに遅く、同僚さんに渡されて左脇に挟んだ体温計がピピッと鳴ってよこした数字は37.5度.

"今日はもう早退して、早く病院に行きなさい!"とタイムカードの退勤ボタンを押され、ぼーっとした頭と熱を帯びはじめた体を引きずり、耳鼻咽喉科に受診しに行きました.

幼少期からお世話になっている耳鼻咽喉科の先生に診てもらい、薬局にて処方してもらった薬を鞄にしまい帰路につこうとした頃、気づけば東京は見慣れない雪に包まれていました.

常識的に考えるのであれば冷たい雪が降り、体温が上昇している今、病人は一刻も早く帰路について休養するでしょう.

"なんとかは風邪をひかない"ということはなんとかではないはずなのですが、何を思ったか雪降るこの道を歩いて帰ろうと、もたついた足幅で一歩、また一歩と歩き始めました.

(というのも雪の影響で運行状況が乱れたバスを長い時間待ちぼうけすることになり、その待ち時間がもったいないような気がしてしまったのです)

"この雪の布団に寝そべれば、熱を帯びたこの体に心地よいのではないか"と朦朧とした意識の中で考えては消して、家まで帰ったのを覚えています.

 

("雪の帰り道"にまつわる話というのが実はまだ他にもあるのですが、これはまた別の機会にお話ししたいと思います)

 

十一月、霜月となり寒さが厳しさを増す月となりますが、どうか手洗いうがいをして、おいしくご飯を食べ、笑い、眠れるのは健康があってこそのことで、またその有難さを忘れないよう...

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レストランのホール、新聞配達、家庭教師、引っ越し屋さん. 母からのお小遣いやお年玉をやりくりしてほしいものを買っていた子供は、働くことを覚え、自らの労働を対価に"お給料"という通貨を手に入れ、今までお小遣いをくれていた母へ初任給でおいしいものを食べさせてあげたりする大人になるようです.

 

わたしがはじめて初任給を頂いたアルバイト、というのは区立図書館の事務でした.

 

青いエプロンに名札をつけて受付カウンターに座り、本の返却や貸出業務をしたり、返却された本たちを棚に戻したり、というのがわたしの主な仕事でした.

返却された本たちを棚に戻しながら"こんな本もあるのだなあ"だとか"今ちびっこ達の間ではこの本がよく読まれているんだなあ"と、仕事の合間に本を通して人について考えていたものです.

接客業といわれる仕事に就いたことがある人ならば、業務をこなす上で何度も顔を合わせることがあれば、自然と顔を見ただけで"○○さんだ"とわかる(いわゆる常連さんのようなものでしょうか)ようになるのではないでしょうか.

 

もちろんわたしの図書館にも"常連さん"がいて、もう何年も前のことなのですがはっきりと覚えている方がいたりします.

 

閉館の午後八時半のちょうど一時間前にやってきて、"返却です"と短く手渡されるのは難しそうな理数系の本ばかり. 雑誌はもっぱらNewtonで、借りて帰る本たちも必ず小難しそうな本. (服装は少し記憶がおぼろげなのですが)チェックのYシャツにパンツか、少しだけ明るいグレーのちょっと着古したスーツ. さらにめがね好きのわたしの記憶に一番強く根付いているのは、大きな黒縁フレームのめがねをかけていること.

当時の私はその午後七時半にやってくる常連さんをひとり"ニュートンさん"と呼んでいました. (もちろん貸出カードを受け取るので、名前を知っていたと思うのですが難しい名前だった記憶があります)

毎週必ず来館して貸出上限二十冊ぴったり借りていくので、ニュートンさんが来館しない週があると"風邪でもひいたのかな"といらぬ心配をしたこともあったり. (相手はそんないらぬ心配をされているとは思わないのでしょうが)

このアルバイトを辞めてから年数が経ちますが、今も変わらずニュートンさんはあの図書館に毎週七時半に本を返却しに来館しているかどうか、それを知る術はありません.

 

母と初任給でお寿司を食べにいったあの日、今日もお仕事お疲れ様でしたとお酒を買ったあの日. 社会という池に飛び込んだ蛙は、その池の狭さに慣れて池の外の世界へ冒険にでる勇気を置き忘れてしまうのでしょうか.

14: おむすびとはちまき

手縫いの赤色はちまき、白と青の体操着と上履きには大きく名前がかかれ、赤いランドセルのかわりに背中にしょったのは臙脂色のリュックサック. 自分の顔と同じくらいの大きさの水筒をもって歩く、いつもと変わらない通学路は、どこか違ってみえた朝.

 

開会式、100m走、むかで競争、水筒の麦茶が半分になろうとするお昼頃. 生徒席に並んで座っていた友達に短い別れを告げて、家族たちの顔がそろうレジャーシートへ向かうのでした.

 

たこさんウインナー、甘いたまご焼き、トマトとアスパラのベーコン巻き、そして銀紙につつまれたおむすび.

家を出るときにみた台所の母の横顔、その手には酸っぱい梅干しと炊き立てのご飯、母の手のひらには手際よく握られていくおむすびたちがいました.

銀紙を広げ、わたしたちがおむすびを頬張る頃には、のりがしんなりとして梅と少し振り塩されたご飯と、疲れを飛ばす梅干しの酸っぱさが口に広がるのです. わたしはこの梅のおむすびが大好きで、運動会や学芸会などの行事のときに、母が握ってくれるのをひそかに楽しみにしていたほどです.

 

食欲の秋、運動の秋、わたしの好きな季節がやってきました.

夏と冬の間の短い季節、どうかおいしく楽しく過ごしたいものです.