月暈(げつうん/つきがさ)
月の周囲に現れる輪状の光暈. 月の光が細かい氷の結晶からできている雲に反射・屈折して起こる. つきのかさ.

17: Lost in Last Page

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重い雲の瞼から伝い落ちた泪の雨で濡れた翌日、吹く風が纏ったのは花のセーター.

十二月は数か月先で目覚めを待つ四月の寝息を、少しだけ、そっと運んできたような日があるかと思えば、草木に霜化粧を施して歩く日もありました.

 

十一月の内にいくつか頭に浮かんだ話たちを書き留めておくつもりだったのですが、書き物に向き合うまとまった時間と準備ができず、さらには十二月の幕が下りようとしている日に、思い立って書き始めてしまいました.

 

祖母の厚切りトーストと甘い卵焼き、わに、コンビニエンスストアで買い求めるフーセンガム、五年以上続けている運動、罪深い十八才の女子高生、セルフジンクスなど...

こうして今書きだしている話たちはほんの一部ながら、ほかの部分はどのような話たちだったか思い出せそうにありませんが、思い出したらぽつぽつと綴っていこうかと思っています. (この辺境の文章たちを読みに来てくれているのは本当にひとり、ふたりだと思いますが)

 

まもなく十二月三十一日という名前の二十四時間が終わろうとしていますので、今日という日が終わる前に、ひとつだけお話しようかと思います.

 

煙突を持っていない家には、サンタクロースさんや赤鼻のトナカイさんはやってこないと小さい頃はそう思っていました.

でも、ひとつだけおとぎ話と知りながら"いつか、もしかしたら"と密かに期待していたのがRaymond Briggs著"The Snowman"のスノーマンでした.

この絵本はわたしの幼少時代を育ててくれた本のひとつといっても過言ではなく、こうして大人になって絵本を開く機会がすくなくなった今も、本だけはずっと持っています.

小さい頃は好きな本なので一ページ目から読み始めるのですが、(読んだことのある方なら二人の過ごした素敵な夜の夜明けがどうなるかご存知やもしれませんが)最後のページをめくるのがつらく、でも怖いもの見たさに最後のページだけを眺めるときもありました.

 

Raymond Briggs著のほかの作品では"Father Christmas (邦題:さむがりやのサンタ)"、"Father Christmas Goes on Holiday (邦題: サンタのたのしいなつやすみ)"、"When The Wind Blows (邦題: 風が吹くとき)"を読んだ、鑑賞したことがありますが、どれもおすすめの作品です. もし書店に立ち寄る予定がある方は、大人だからと遠慮せずに手にとってみてください.

 

と書いたところで、もう次の二十四時間のはじまりの時間になってしまいました.

 

シンデレラにかけられた魔法は解けてしまいましたが、魔法でつくられながらも消えずに王子様と再会をはたすきっかけになった硝子の靴のように、"溶けない魔法"をスノーマンにもかけて...

 

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16: 冷めゆく38.1度

何年前の秋から冬への過渡期だったでしょうか.

その当時もインフルエンザ、風邪が流行っていてすれ違う人が皆、風邪をひいてしまってマスクをしている人か、風邪にならないように予防でマスクをしている人か見分けがつかないような顔ぶれ.

例年に比べ気温が低い日が続いていたにも関わらず、"大丈夫だろう"と油断して薄着をしてしまっていたわたしは、まんまと前者、つまり"風邪をひいてしまってマスクをしている人"の仲間入りをしてしまった時の話です.

 

その日は特に冷え込んで厚く重い雲から今にも雪が降りそうな空模様、底冷えからくる寒さと思いこんでいた寒気が、風邪による悪寒だと気づいたのは昼前のことでした.

気づいた時には時すでに遅く、同僚さんに渡されて左脇に挟んだ体温計がピピッと鳴ってよこした数字は37.5度.

"今日はもう早退して、早く病院に行きなさい!"とタイムカードの退勤ボタンを押され、ぼーっとした頭と熱を帯びはじめた体を引きずり、耳鼻咽喉科に受診しに行きました.

幼少期からお世話になっている耳鼻咽喉科の先生に診てもらい、薬局にて処方してもらった薬を鞄にしまい帰路につこうとした頃、気づけば東京は見慣れない雪に包まれていました.

常識的に考えるのであれば冷たい雪が降り、体温が上昇している今、病人は一刻も早く帰路について休養するでしょう.

"なんとかは風邪をひかない"ということはなんとかではないはずなのですが、何を思ったか雪降るこの道を歩いて帰ろうと、もたついた足幅で一歩、また一歩と歩き始めました.

(というのも雪の影響で運行状況が乱れたバスを長い時間待ちぼうけすることになり、その待ち時間がもったいないような気がしてしまったのです)

"この雪の布団に寝そべれば、熱を帯びたこの体に心地よいのではないか"と朦朧とした意識の中で考えては消して、家まで帰ったのを覚えています.

 

("雪の帰り道"にまつわる話というのが実はまだ他にもあるのですが、これはまた別の機会にお話ししたいと思います)

 

十一月、霜月となり寒さが厳しさを増す月となりますが、どうか手洗いうがいをして、おいしくご飯を食べ、笑い、眠れるのは健康があってこそのことで、またその有難さを忘れないよう...

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15: 4-04-791397-9

 

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レストランのホール、新聞配達、家庭教師、引っ越し屋さん. 母からのお小遣いやお年玉をやりくりしてほしいものを買っていた子供は、働くことを覚え、自らの労働を対価に"お給料"という通貨を手に入れ、今までお小遣いをくれていた母へ初任給でおいしいものを食べさせてあげたりする大人になるようです.

 

わたしがはじめて初任給を頂いたアルバイト、というのは区立図書館の事務でした.

 

青いエプロンに名札をつけて受付カウンターに座り、本の返却や貸出業務をしたり、返却された本たちを棚に戻したり、というのがわたしの主な仕事でした.

返却された本たちを棚に戻しながら"こんな本もあるのだなあ"だとか"今ちびっこ達の間ではこの本がよく読まれているんだなあ"と、仕事の合間に本を通して人について考えていたものです.

接客業といわれる仕事に就いたことがある人ならば、業務をこなす上で何度も顔を合わせることがあれば、自然と顔を見ただけで"○○さんだ"とわかる(いわゆる常連さんのようなものでしょうか)ようになるのではないでしょうか.

 

もちろんわたしの図書館にも"常連さん"がいて、もう何年も前のことなのですがはっきりと覚えている方がいたりします.

 

閉館の午後八時半のちょうど一時間前にやってきて、"返却です"と短く手渡されるのは難しそうな理数系の本ばかり. 雑誌はもっぱらNewtonで、借りて帰る本たちも必ず小難しそうな本. (服装は少し記憶がおぼろげなのですが)チェックのYシャツにパンツか、少しだけ明るいグレーのちょっと着古したスーツ. さらにめがね好きのわたしの記憶に一番強く根付いているのは、大きな黒縁フレームのめがねをかけていること.

当時の私はその午後七時半にやってくる常連さんをひとり"ニュートンさん"と呼んでいました. (もちろん貸出カードを受け取るので、名前を知っていたと思うのですが難しい名前だった記憶があります)

毎週必ず来館して貸出上限二十冊ぴったり借りていくので、ニュートンさんが来館しない週があると"風邪でもひいたのかな"といらぬ心配をしたこともあったり. (相手はそんないらぬ心配をされているとは思わないのでしょうが)

このアルバイトを辞めてから年数が経ちますが、今も変わらずニュートンさんはあの図書館に毎週七時半に本を返却しに来館しているかどうか、それを知る術はありません.

 

母と初任給でお寿司を食べにいったあの日、今日もお仕事お疲れ様でしたとお酒を買ったあの日. 社会という池に飛び込んだ蛙は、その池の狭さに慣れて池の外の世界へ冒険にでる勇気を置き忘れてしまうのでしょうか.

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