09: xiězhēn

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もう7月の後半というのに、まだ梅雨明けしていない空模様.

 

7月17日の日曜日に、世田谷美術館で開かれている"アルバレス・ブラボ写真展―メキシコ、静かなる光と時"を鑑賞してきました.

 

アルバレス・ブラボ Manuel Álvarez Bravo (1902-2002)

 

―革命の動乱を経て、壁画運動や前衛芸術が盛り上がりを見せた1920年代末に頭角を現し、最晩年の1990年代末に至るまで、一貫して独自の静けさと詩情をたたえた写真を撮り続けました。―(世田谷美術館HPより引用)

 

感想は割愛しますが、先月に埼玉県近代美術館で開催されていた"ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて"で、幼いラルティーグが目を閉じたり開けたりしてその記憶を脳裏に焼き付けようとする行為を"目の罠"と称していた、と語られていたことを、ブラボの"眼の寓話"の前に立った時、思い出したのです.

 

どうしてかはわからないのですが、ふっとこころに浮かんで消えていきました.

 

撮影者として「カメラを向けられている被写体が何を思案しているのか」ということはその姿をすっかりカメラフレームに収めることができても、正確には、わからないと思います.

そのひとつの瞬間を一枚の写真にして、百人の人にみせたらきっと、百以上の「被写体の姿とこころ」ができあがると思います. (これは写真に限った話ではありませんが)

 

言葉で伝えることが苦手なわたしが写真を通して、わたしという姿、こころを真写(しんしゃ: ありのままに写す)できたらいいなあ、と小さなカメラに呟いたのでした.