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f:id:zio_ep:20170625173751j:plainわたしにとって久しぶりの"学校"ともいえる教習所. 運転免許証を手にした今こそ二か月弱と言葉にしてみればとても短いもので、幾ばくかさみしいきもちもあるというのがホンネです. "教習所物語"をここで綴ろうとも思ったのですが、あえてその物語を語ったあとのあとがきだけを少し、書き留めておくだけにしようと思います.

 

まず、とにもかくにも、とても人との縁と機会に恵まれたなあ.ということです. わたしにとってはじめての免許取得、右も左も(教習所で例えるならば右折も左折も)わからない人間が原動力のついた鉄の塊を限られた本数の手足で動かそうとするわけですから、特に技能では二段回目へと落ち着くまで(もちろん二段回目でもへっぽこだったわけですが...)教官の"檄"が飛んでわたしの左胸を何度も貫いていきました.

それでもめげずに教習所へと足を運んだのは、真剣に教えてくれる教官にできなかったことができるようになった姿をみせたい.という一心が強かったからだと思います. 飛ぶ姿をみせる親鳥に必死に食らいつく雛鳥、とでもいいましょうか. 指導してくださった教官にとっては何万人目の教習生かもしれませんが、巣立った今も感謝しきれないくらいです.

 

また、これは教習所に限ったことではありませんが、できなかったことができるようになってくると周囲がよくみえてくる場面が多々あります. 教習所を通い始めたばかりだろう教習生の技能の風景をみていると、うまく飛べなかった頃の自分自身を客観的にみている、そんな感覚を覚えます. 特にわたしの場合は他の教習生よりも技能で苦労したので、なおさらかもしれません. 教習コースから聴こえる教官の檄. 気づくと教習生の後ろ姿を"がんばれ、負けるな"と見守っていることも少なくありませんでした. きっと彼らも必ず卒業証書を受け取り、免許を手にとる日が...卒業生になったわたしのように"終わってしまってさみしい"と感慨にふける日が、と.

 

はじまりには終わりがあり、終わりにははじまりがあります.

わたしの教習所物語は一度ピリオドを打ったわけですが、これからは安全運転、無事故無違反を心がけ、運転免許証という翼を広げてまだ見ぬ空へとんでいけたらと思います.