26: 一の矢二の矢とんで四の矢
比丘たちよ
まだわたしの教法を聞かないひとたちは、苦受にふれられると
憂え、疲れ、悲しみ、胸を搏って泣き、なすところを知らず
彼らは二種の受を感ずる
見に属する受と、心に属する受である
比丘たちよ
たとえば、第一の矢をもって射られども、さらに第二の矢をもって射られるがごとし
それとおなじく、比丘たちよ
すでにわたしの教法を聞いた弟子たちは
苦受にふれられるども、憂えす、疲れず、悲しまず、胸を搏ちて泣かず、
なすところを知らざるに至らず
(雑阿含経『箭経』第十七)
胸を貫いた一の矢は彼方へ消えていったはずなのですが、この胸に刺さったままで残る矢を一の矢の残像だと思っていたのは間違いだったようです. 二の矢は鈍った頭にゆっくりと毒を忍ばせて、気づいたらわたしの目を曇らせていました. 土曜の雨の日の雲を映し続けていた目に、あたたかい梅雨がきて「晴れ」たのはほんの少し前のことでした. 濡れた足元に滴る水はどうやら胸と四の矢の境目からのようです.
ある有識者や科学者たちの対談を拝聴したときに、「戦後の心労が重なった兵士たちが国へ帰るときに乗るのは船だったんです、それはほかの交通手段よりも長い時間を移動に費やす=こころを癒す時間の確保という理由もあるんですよ」と. ふと、休みの日になると単車にまたがって何時間も休憩を取らずに走り続けていたのは、これも「こころを癒す時間の確保」を無意識に行っていたのかもしれないな、と.
迷わずこの矢を、抜かねば.