09: xiězhēn

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もう7月の後半というのに、まだ梅雨明けしていない空模様.

 

7月17日の日曜日に、世田谷美術館で開かれている"アルバレス・ブラボ写真展―メキシコ、静かなる光と時"を鑑賞してきました.

 

アルバレス・ブラボ Manuel Álvarez Bravo (1902-2002)

 

―革命の動乱を経て、壁画運動や前衛芸術が盛り上がりを見せた1920年代末に頭角を現し、最晩年の1990年代末に至るまで、一貫して独自の静けさと詩情をたたえた写真を撮り続けました。―(世田谷美術館HPより引用)

 

感想は割愛しますが、先月に埼玉県近代美術館で開催されていた"ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて"で、幼いラルティーグが目を閉じたり開けたりしてその記憶を脳裏に焼き付けようとする行為を"目の罠"と称していた、と語られていたことを、ブラボの"眼の寓話"の前に立った時、思い出したのです.

 

どうしてかはわからないのですが、ふっとこころに浮かんで消えていきました.

 

撮影者として「カメラを向けられている被写体が何を思案しているのか」ということはその姿をすっかりカメラフレームに収めることができても、正確には、わからないと思います.

そのひとつの瞬間を一枚の写真にして、百人の人にみせたらきっと、百以上の「被写体の姿とこころ」ができあがると思います. (これは写真に限った話ではありませんが)

 

言葉で伝えることが苦手なわたしが写真を通して、わたしという姿、こころを真写(しんしゃ: ありのままに写す)できたらいいなあ、と小さなカメラに呟いたのでした.

08:VIVA LA "White" WOMBAT

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白い壁の、白い時計. 時の経過を知らせる秒針よりも、時計盤を囲む白い枠が少しずつ傷み始めていることのほうが、時を語っているように思える夏の明るい夜.

 

いつこの時計を手にしたのかは覚えていませんが、確かフリーマーケットダンボール箱に乱雑に他の日用品の山の中に入れて売られていたものだと思います.

それから幾度も部屋の模様がえをしていますが、この時計だけはいつも同じ場所にかけています.

ゆるい書体で1から12までの数字がちりばめられていて、オーストラリアのブランド"VIVA LA WOMBAT!"なのですが、オットセイなのかアザラシなのかわからない子と、熱帯魚が一匹描かれています.

 

わたし自身、古いもの(前の持ち主がいるもの、いないものどちらも)をみるのも、手にするもの(つまり持ち主になること)もすきなのですが、フリーマーケットや蚤市や骨董市をみかけると、ついつい長居してしまいます.(さらにえば、気になるものがあると時間を忘れて手にするか否かを悩んでしまいます)

 

つい数か月前に、幕張メッセで行われたフリーマーケットにも思い立って行ってきた折、一番印象に残っているのは、売り子をしていた若い男の子(でも同じ20代だと思われる)とのやり取りです.

 

三畳ほどのレジャーシートの上に並べられた小物たちと、男の子ひとり.

後ろには共同出店で同じように売り子をしている女の子、男の子たちがいて談笑をしていました.

わたしが最初に目をとめたのが、淡い黄色の硝子でつくられた小さな花瓶でした.

手に取ってじっと眺めていると、少しして体育座りで黙っていた男の子が"それ、すてきでしょ?"と声をかけてきたのです.

 

わたし"うん、いいかんじ..."

彼"それねえ、おれすんごい気にいってたやつなんです"

わたし"(ほかに並べられている小さな硝子の花瓶をみて)へえ、気にいってたっていうのは....お兄さん、硝子の収集でもしてたの?"

彼"そうなんです、一時期めっちゃ硝子の小物の収集にはまって...でも今は違う趣味に走っているので、売ろうと思って...場所もないし"

わたし"そうなんだねえ、え、ちなみに今の趣味は?"

彼"レコードっすね"

わたし"レコードっすか"

 

他にも少し話をしたけれど、割愛.

彼がどういう理由でこの硝子の花瓶の持ち主になったかは正確にはわからないけれど、(ちなみにわたしは硝子ながら胴の部分に透明な縞々があるからなのですが)対人でもあり、対物としてもいい出会いでした.

 

まだ一度もこの黄色の硝子の花瓶に花を活けていないのですが、秋口になったらドライフラワーを活けて飾ろうと思っています.

前の持ち主であるあの男の子は、どんな花を活けていたんでしょうか...

07: かなかなの かなかな さそう 谷浄土

6月19日の日曜日、高校時代の同級生と八王子にある高尾山へ登山をしてきました.

 

年4回、春の会、夏の会、秋の会、冬の会と称して集まっては、お互いの近況などを話し合って、高校生の頃を懐かしんだり、あの同級生は今どうしているだろう、と他愛のない話をするために会合をするのです.

 

この四季の会の"いいだしっぺ"はわたしですが、いつ頃から"○○の会"と名付けて集まるようにしたかは定かではありません.

高校卒業後、音沙汰がないまま、大学入学と卒業をし社会人となったわたしと同級生.

交換日記を見つけて、"そういえばどうしているだろう"と送った二枚の年賀状に書き記したメールアドレス.

そのメールアドレスに同級生は連絡をくれたことから、途絶えた点が線になりました.

 

その線の内、6月19日は高尾山への登山となったわけです.

天候は下山途中から霧雨となりましたが、帰りに乗車したケーブルカーの後部座席からみるトンネル、あの遠ざかっていくトンネルの姿が今も目に焼き付いています.

 

登山中、そして電車の車中で語り合ったのは近くて遠い未来の話.

同級生のひとり、おケイちゃんには去年の暮から付き合い始めたシンジさんという彼がいます.

おケイちゃんから惚気話がでてくるのかと思いきや、"ふたり暮らし"をすることはとても難しいという話、ふたりゆえの幸せや辛さなど...

おケイちゃん自身、まだひとり暮らしを初めて一年も経たない内に、ふたり暮らしになってしまったので、どうしたものかと悩んでいました.

わたしとゆきこちゃん(もうひとりの同級生)は今の言葉を借りれば"おひとり様"のため、なかなかいい助言をすることはできませんでしたが、解決の糸口がみつかればいいね.と.

 

久しぶりに同年代の人と意見交換をする場、時間を共有する場を得られてとても有意義に過ごせました.

ただデジタルカメラの電池を忘れてしまって、カメラ本体だけを大切にもっていってしまったわたしには、この二度とない6月19日の記録は手元には残らないのが、少しさみしかったりするのでした...