28: 飛べない鶯は都へ落ちる

 

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10年前の22才、わたしが大学を卒業して春から勤めはじめたのは「自宅」でした.

 

 毎週月曜日に刊行される求人情報誌をスーパーへもらいにいき、求人を探すものの応募に至らず「今日も応募先見つからなかった」とさまざまなことを先送りにする日々. 「やりがいのある仕事です!」と笑顔の求人欄の写真をみても、「わたしのやりがい」ってなんだろうと釈然としないままでした. とはいえ経済的な面で収入がないわけにはいかなかったため、同年の秋口には大学時代にアルバイト経験のあった医療関係の仕事に就きました.
 10年後の32才、わたしは正社員として勤めてきた仕事を誰でも社会に出れば悩むような、そんな月並みな理由で退職しました. でも、わたしはまたあの頃と同じ「わたしのやりがい」をうまく描けずに立ち止まっています. 何事も取り組み決断するまでに時間がかかり、しまいには"やるぞ"と目前まででかけたものをやめてしまったりすることが増えています.

 

 どうにも、こうにも、ちょっとつかれてしまったみたいです. もう放浪娘にでもなってどこか誰も知らない場所へいってしまえばいいのかもしれません.

27: "海と果実と"

f:id:zio_ep:20201010220046j:plain香坂優美子と月島カンナ

入江耕作と佐野朝美

榊晃司と水野紘子

結城櫂と萩尾沙絵

 

この名前たちで「あ、」と思った人はきっと同じ物語をブラウン管から眺めたことがあるのだろう. 脚本家を知らないまま一話目をみて、二話目をみて続きが気になって仕方なくなると、もしかして...と思いはじめるのだ. エンドロールで確認するとやはり"脚本 北川悦吏子"という文字が字幕に流れている. そう、もしかしてと思うといつもそこにその名前があって、してやられるのである.

 

わたしがはじめて出逢った作品は1994年"君といた夏"という作品で、はじめて劇中の登場人物やシーン等を自分なりに解釈し選曲して、プレイリストを作った物語でもあるので思い入れがあり、夏になると麦わら帽子をかぶった朝美の後ろ姿が浮かんでくる.

 

今継続的に視聴している物語は北川悦吏子氏の脚本ではないが、年末に退職し来年から"お暇(いとま)"を頂く予定であるわたしにとって、劇中の登場人物の台詞は空気を読まずに胸にブワッと湧いてきて、あと三話でおしまいになってしまうのがさみしい気もしている.

 

26: 一の矢二の矢とんで四の矢

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比丘たちよ

まだわたしの教法を聞かないひとたちは、苦受にふれられると

憂え、疲れ、悲しみ、胸を搏って泣き、なすところを知らず

彼らは二種の受を感ずる

見に属する受と、心に属する受である

比丘たちよ

たとえば、第一の矢をもって射られども、さらに第二の矢をもって射られるがごとし

それとおなじく、比丘たちよ

すでにわたしの教法を聞いた弟子たちは

苦受にふれられるども、憂えす、疲れず、悲しまず、胸を搏ちて泣かず、

なすところを知らざるに至らず

 

(雑阿含経『箭経』第十七)

 

胸を貫いた一の矢は彼方へ消えていったはずなのですが、この胸に刺さったままで残る矢を一の矢の残像だと思っていたのは間違いだったようです. 二の矢は鈍った頭にゆっくりと毒を忍ばせて、気づいたらわたしの目を曇らせていました. 土曜の雨の日の雲を映し続けていた目に、あたたかい梅雨がきて「晴れ」たのはほんの少し前のことでした. 濡れた足元に滴る水はどうやら胸と四の矢の境目からのようです.

 

ある有識者や科学者たちの対談を拝聴したときに、「戦後の心労が重なった兵士たちが国へ帰るときに乗るのは船だったんです、それはほかの交通手段よりも長い時間を移動に費やす=こころを癒す時間の確保という理由もあるんですよ」と. ふと、休みの日になると単車にまたがって何時間も休憩を取らずに走り続けていたのは、これも「こころを癒す時間の確保」を無意識に行っていたのかもしれないな、と.

 

迷わずこの矢を、抜かねば.