18: み・む・ふ・ひ
未完成のまま書くのをやめてしまったラヴレターたち.
無関心なふりをしているけれど、こころの片隅で気づかれないようハアトに火をくべて.
不器用なわたしでも、この赤い糸を手繰り寄せていけばあなたに届くかしら、なんて.
非日常のはじまりを日常の中から探すように、雑踏の中からあなたの笑顔を探す、今日も.
最近携帯電話を買い替えて、まっさらになった文字の予測変換、連絡先、写真フォルダーたち. (相変わらず写真ファイルはアイスクリームまみれですが...)
数少ない友人との"生命線"としての役割をもつこの機械は、わたしに限らず世の中にとって必要不可欠なものになりました.
その機械をまるで自分の分身かのように肌身離さず持ち歩いて、人とつながりたいとき、共有したいとき、その分身から無数に広がるネットワークを介して人とつながるのです.
"きもちの代弁者"であるこの機械があれば、例えば好きな人への愛の告白も、相手を目の前に声にだして、募る想いを手紙にしたためて、そんな"遠回りなこと"はしなくても、今の世の中ならば愛の告白のかかれた文字列を"相手に送信(発信)すること"、そのことに勇気を振り絞りさえすれば、その想い人のかわりに機械が代弁してくれるのです.
しかしながらわたしは文字の予測変換は完璧でも、"きもちの予測変換"、(これはあくまでもわたし自身としてはですが)というのは顔をあわせて会話するよりもだいぶ劣る(もしくはまったく異なるもの)と思っています.
Eメールよりチャット、チャットより音声通話、音声通話より対人(もちろん、面と向かって話さないほうがいい場合もありますが...)
すぐに連絡できるから、逆に連絡しづらかったり、音沙汰がないと不安になったり. 機械の向こう側、遠くにいるはずの相手を、あたかもすぐ傍にいるような錯覚を覚えてしまうようで.
いつでも連絡はとれるけれど、顔を合わせられる"キカイ"があるならば積極的に会って言葉を交わすべきだなあ、と一方通行のまま終わっている画面をみて考えさせられた三月のはじまりの綴りでした.
17: Lost in Last Page
重い雲の瞼から伝い落ちた泪の雨で濡れた翌日、吹く風が纏ったのは花のセーター.
十二月は数か月先で目覚めを待つ四月の寝息を、少しだけ、そっと運んできたような日があるかと思えば、草木に霜化粧を施して歩く日もありました.
十一月の内にいくつか頭に浮かんだ話たちを書き留めておくつもりだったのですが、書き物に向き合うまとまった時間と準備ができず、さらには十二月の幕が下りようとしている日に、思い立って書き始めてしまいました.
祖母の厚切りトーストと甘い卵焼き、わに、コンビニエンスストアで買い求めるフーセンガム、五年以上続けている運動、罪深い十八才の女子高生、セルフジンクスなど...
こうして今書きだしている話たちはほんの一部ながら、ほかの部分はどのような話たちだったか思い出せそうにありませんが、思い出したらぽつぽつと綴っていこうかと思っています. (この辺境の文章たちを読みに来てくれているのは本当にひとり、ふたりだと思いますが)
まもなく十二月三十一日という名前の二十四時間が終わろうとしていますので、今日という日が終わる前に、ひとつだけお話しようかと思います.
煙突を持っていない家には、サンタクロースさんや赤鼻のトナカイさんはやってこないと小さい頃はそう思っていました.
でも、ひとつだけおとぎ話と知りながら"いつか、もしかしたら"と密かに期待していたのがRaymond Briggs著"The Snowman"のスノーマンでした.
この絵本はわたしの幼少時代を育ててくれた本のひとつといっても過言ではなく、こうして大人になって絵本を開く機会がすくなくなった今も、本だけはずっと持っています.
小さい頃は好きな本なので一ページ目から読み始めるのですが、(読んだことのある方なら二人の過ごした素敵な夜の夜明けがどうなるかご存知やもしれませんが)最後のページをめくるのがつらく、でも怖いもの見たさに最後のページだけを眺めるときもありました.
Raymond Briggs著のほかの作品では"Father Christmas (邦題:さむがりやのサンタ)"、"Father Christmas Goes on Holiday (邦題: サンタのたのしいなつやすみ)"、"When The Wind Blows (邦題: 風が吹くとき)"を読んだ、鑑賞したことがありますが、どれもおすすめの作品です. もし書店に立ち寄る予定がある方は、大人だからと遠慮せずに手にとってみてください.
と書いたところで、もう次の二十四時間のはじまりの時間になってしまいました.
シンデレラにかけられた魔法は解けてしまいましたが、魔法でつくられながらも消えずに王子様と再会をはたすきっかけになった硝子の靴のように、"溶けない魔法"をスノーマンにもかけて...
16: 冷めゆく38.1度
何年前の秋から冬への過渡期だったでしょうか.
その当時もインフルエンザ、風邪が流行っていてすれ違う人が皆、風邪をひいてしまってマスクをしている人か、風邪にならないように予防でマスクをしている人か見分けがつかないような顔ぶれ.
例年に比べ気温が低い日が続いていたにも関わらず、"大丈夫だろう"と油断して薄着をしてしまっていたわたしは、まんまと前者、つまり"風邪をひいてしまってマスクをしている人"の仲間入りをしてしまった時の話です.
その日は特に冷え込んで厚く重い雲から今にも雪が降りそうな空模様、底冷えからくる寒さと思いこんでいた寒気が、風邪による悪寒だと気づいたのは昼前のことでした.
気づいた時には時すでに遅く、同僚さんに渡されて左脇に挟んだ体温計がピピッと鳴ってよこした数字は37.5度.
"今日はもう早退して、早く病院に行きなさい!"とタイムカードの退勤ボタンを押され、ぼーっとした頭と熱を帯びはじめた体を引きずり、耳鼻咽喉科に受診しに行きました.
幼少期からお世話になっている耳鼻咽喉科の先生に診てもらい、薬局にて処方してもらった薬を鞄にしまい帰路につこうとした頃、気づけば東京は見慣れない雪に包まれていました.
常識的に考えるのであれば冷たい雪が降り、体温が上昇している今、病人は一刻も早く帰路について休養するでしょう.
"なんとかは風邪をひかない"ということはなんとかではないはずなのですが、何を思ったか雪降るこの道を歩いて帰ろうと、もたついた足幅で一歩、また一歩と歩き始めました.
(というのも雪の影響で運行状況が乱れたバスを長い時間待ちぼうけすることになり、その待ち時間がもったいないような気がしてしまったのです)
"この雪の布団に寝そべれば、熱を帯びたこの体に心地よいのではないか"と朦朧とした意識の中で考えては消して、家まで帰ったのを覚えています.
("雪の帰り道"にまつわる話というのが実はまだ他にもあるのですが、これはまた別の機会にお話ししたいと思います)
十一月、霜月となり寒さが厳しさを増す月となりますが、どうか手洗いうがいをして、おいしくご飯を食べ、笑い、眠れるのは健康があってこそのことで、またその有難さを忘れないよう...