22: この森をぬけたら、どうかわたしのことは忘れてください

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もしかしたら、わたしはだいぶ世間一般の枠組みからはずれているところで息をしているのかもしれない. と数年前より肉体的に疲れやすくなった体と相反するような、まだしわのたりない頭の中をみあってそう感じることが多くなりました.

 

街角ですれ違う人々の発する言葉や目まぐるしくかわる表情. その表情と一瞬だけ相まみえるとき、相手の目にわたしはどのような表情で映るのだろうか、目と目がかちあってお互いをとらえたとき、どのような感情が芽生えるのだろうか. たいていの場合は写真のピンぼけのように、風景の一部として何となく通り過ぎていってしまいます.

 

人の行き交う場所にある信号機、青になってもすぐに渡らずにひとりひとりの歩幅や方向は違えど、規則的に動き出す「人波」の隅で立ち止まり、その波へ飲み込まれてみると、自分自身が何者でもないものになるのです.

 

「わたし」と「だれか」との区別がいらない空間へ迷い込むと、「わたし」も「だれか」も「だれでもない」になり、ゆるやかに人とのつながりを曖昧にしてけしてしまいたくなるのです. そうして「わたし」とつながっているものやひとが何事もなかったことにしてしまえばいいと.

 

正直なところ、はじめて「どうにでもなればいい」と思ってしまったのです.

書きたいから削り始めたはずの鉛筆、気づけば必要以上に細くなった芯が、きもちを文字にする前にぽきり、と折れてしまったような. 

 

そうしたら、わたしはだいぶ世間一般の線引きからはずれているところでひとりになりたがっているかもしれない. と.

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f:id:zio_ep:20170625173751j:plainわたしにとって久しぶりの"学校"ともいえる教習所. 運転免許証を手にした今こそ二か月弱と言葉にしてみればとても短いもので、幾ばくかさみしいきもちもあるというのがホンネです. "教習所物語"をここで綴ろうとも思ったのですが、あえてその物語を語ったあとのあとがきだけを少し、書き留めておくだけにしようと思います.

 

まず、とにもかくにも、とても人との縁と機会に恵まれたなあ.ということです. わたしにとってはじめての免許取得、右も左も(教習所で例えるならば右折も左折も)わからない人間が原動力のついた鉄の塊を限られた本数の手足で動かそうとするわけですから、特に技能では二段回目へと落ち着くまで(もちろん二段回目でもへっぽこだったわけですが...)教官の"檄"が飛んでわたしの左胸を何度も貫いていきました.

それでもめげずに教習所へと足を運んだのは、真剣に教えてくれる教官にできなかったことができるようになった姿をみせたい.という一心が強かったからだと思います. 飛ぶ姿をみせる親鳥に必死に食らいつく雛鳥、とでもいいましょうか. 指導してくださった教官にとっては何万人目の教習生かもしれませんが、巣立った今も感謝しきれないくらいです.

 

また、これは教習所に限ったことではありませんが、できなかったことができるようになってくると周囲がよくみえてくる場面が多々あります. 教習所を通い始めたばかりだろう教習生の技能の風景をみていると、うまく飛べなかった頃の自分自身を客観的にみている、そんな感覚を覚えます. 特にわたしの場合は他の教習生よりも技能で苦労したので、なおさらかもしれません. 教習コースから聴こえる教官の檄. 気づくと教習生の後ろ姿を"がんばれ、負けるな"と見守っていることも少なくありませんでした. きっと彼らも必ず卒業証書を受け取り、免許を手にとる日が...卒業生になったわたしのように"終わってしまってさみしい"と感慨にふける日が、と.

 

はじまりには終わりがあり、終わりにははじまりがあります.

わたしの教習所物語は一度ピリオドを打ったわけですが、これからは安全運転、無事故無違反を心がけ、運転免許証という翼を広げてまだ見ぬ空へとんでいけたらと思います.

20: 後ろから三番目の背中

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少し肌寒い体育館に響き渡る校長先生のおはなし、大半の生徒はもう目の前にある春休みに心奪われうわの空で、目の前の友達の少し浮ついた背中をぼうっと視界に収めながら聞き流されていくことでしょう.

 

わたしは身長が幼い頃から高いほうだったので、背の順のまえならえならばたいていの場合、後ろから三番目でした.

だから校長先生に最も近い"まえならえ"の先頭の友達に少しばかり、同情のようなものを感じたことがあります. あんな長くて頭にも耳にも入ってこない(といったら校長先生に失礼ですが...)話を、態度だけでも聞くことに徹しているように装う必要がありそうだったからです.

"不良学生"のわたしは列の後ろであることをいいことに、話半分、校庭につながる体育館の扉から垣間見える春は桜散る風景、夏は少し湿った風が砂をさらう様子などをよくみていたものです.

 

わたしはこうして大人になるまでに、いろいろな人のいろいろな"背中"を受け止めてきたように思います.

自由奔放な姉の背中をみながら、泣き虫な弟の泣きじゃくる声を背中で聞いて、ふと見上げると安心する台所に立ってせわしなく動く母のエプロン姿、そして仕事で家を留守にすることが多かった父がたまに帰ってきてパソコンに向かう真夜中の後ろ姿など.

表情筋ではなく背筋のついた背中だけでも、十分に相手のきもちは語られるものです.

 

今こそ電車の乗り方、歩き方を覚えた大人のわたし. 誰かに手をひかれて歩いたり、自転車の後ろの子供用の椅子に座ってでかけることはなくなりましたが、街中でお母さんの漕ぐ自転車の後ろを必死に小さな自転車でついていく家族の背中をみると、そこに昔のわたし自身を思い出すことが多々あります.

 

自分の自転車を買ってもらう前は母の運転する自転車に、補助輪が外れてひとりで乗れるようになると、どこにいくにも母の背中を追って自転車を漕いだものです.

 

もう明後日、明日には四月になり、真新しい制服、スーツに包まれた、またひとつ"大人になった"背中が街に溢れる頃です.

"他人の袖みて..."ではなく"他人の背をみて我が生(せい)なおせ"で、精進していこうとおもいます.