08:VIVA LA "White" WOMBAT
白い壁の、白い時計. 時の経過を知らせる秒針よりも、時計盤を囲む白い枠が少しずつ傷み始めていることのほうが、時を語っているように思える夏の明るい夜.
いつこの時計を手にしたのかは覚えていませんが、確かフリーマーケットでダンボール箱に乱雑に他の日用品の山の中に入れて売られていたものだと思います.
それから幾度も部屋の模様がえをしていますが、この時計だけはいつも同じ場所にかけています.
ゆるい書体で1から12までの数字がちりばめられていて、オーストラリアのブランド"VIVA LA WOMBAT!"なのですが、オットセイなのかアザラシなのかわからない子と、熱帯魚が一匹描かれています.
わたし自身、古いもの(前の持ち主がいるもの、いないものどちらも)をみるのも、手にするもの(つまり持ち主になること)もすきなのですが、フリーマーケットや蚤市や骨董市をみかけると、ついつい長居してしまいます.(さらにえば、気になるものがあると時間を忘れて手にするか否かを悩んでしまいます)
つい数か月前に、幕張メッセで行われたフリーマーケットにも思い立って行ってきた折、一番印象に残っているのは、売り子をしていた若い男の子(でも同じ20代だと思われる)とのやり取りです.
三畳ほどのレジャーシートの上に並べられた小物たちと、男の子ひとり.
後ろには共同出店で同じように売り子をしている女の子、男の子たちがいて談笑をしていました.
わたしが最初に目をとめたのが、淡い黄色の硝子でつくられた小さな花瓶でした.
手に取ってじっと眺めていると、少しして体育座りで黙っていた男の子が"それ、すてきでしょ?"と声をかけてきたのです.
わたし"うん、いいかんじ..."
彼"それねえ、おれすんごい気にいってたやつなんです"
わたし"(ほかに並べられている小さな硝子の花瓶をみて)へえ、気にいってたっていうのは....お兄さん、硝子の収集でもしてたの?"
彼"そうなんです、一時期めっちゃ硝子の小物の収集にはまって...でも今は違う趣味に走っているので、売ろうと思って...場所もないし"
わたし"そうなんだねえ、え、ちなみに今の趣味は?"
彼"レコードっすね"
わたし"レコードっすか"
他にも少し話をしたけれど、割愛.
彼がどういう理由でこの硝子の花瓶の持ち主になったかは正確にはわからないけれど、(ちなみにわたしは硝子ながら胴の部分に透明な縞々があるからなのですが)対人でもあり、対物としてもいい出会いでした.
まだ一度もこの黄色の硝子の花瓶に花を活けていないのですが、秋口になったらドライフラワーを活けて飾ろうと思っています.
前の持ち主であるあの男の子は、どんな花を活けていたんでしょうか...
07: かなかなの かなかな さそう 谷浄土
6月19日の日曜日、高校時代の同級生と八王子にある高尾山へ登山をしてきました.
年4回、春の会、夏の会、秋の会、冬の会と称して集まっては、お互いの近況などを話し合って、高校生の頃を懐かしんだり、あの同級生は今どうしているだろう、と他愛のない話をするために会合をするのです.
この四季の会の"いいだしっぺ"はわたしですが、いつ頃から"○○の会"と名付けて集まるようにしたかは定かではありません.
高校卒業後、音沙汰がないまま、大学入学と卒業をし社会人となったわたしと同級生.
交換日記を見つけて、"そういえばどうしているだろう"と送った二枚の年賀状に書き記したメールアドレス.
そのメールアドレスに同級生は連絡をくれたことから、途絶えた点が線になりました.
その線の内、6月19日は高尾山への登山となったわけです.
天候は下山途中から霧雨となりましたが、帰りに乗車したケーブルカーの後部座席からみるトンネル、あの遠ざかっていくトンネルの姿が今も目に焼き付いています.
登山中、そして電車の車中で語り合ったのは近くて遠い未来の話.
同級生のひとり、おケイちゃんには去年の暮から付き合い始めたシンジさんという彼がいます.
おケイちゃんから惚気話がでてくるのかと思いきや、"ふたり暮らし"をすることはとても難しいという話、ふたりゆえの幸せや辛さなど...
おケイちゃん自身、まだひとり暮らしを初めて一年も経たない内に、ふたり暮らしになってしまったので、どうしたものかと悩んでいました.
わたしとゆきこちゃん(もうひとりの同級生)は今の言葉を借りれば"おひとり様"のため、なかなかいい助言をすることはできませんでしたが、解決の糸口がみつかればいいね.と.
久しぶりに同年代の人と意見交換をする場、時間を共有する場を得られてとても有意義に過ごせました.
ただデジタルカメラの電池を忘れてしまって、カメラ本体だけを大切にもっていってしまったわたしには、この二度とない6月19日の記録は手元には残らないのが、少しさみしかったりするのでした...
06: 朝顔の花のうへの露
"いつもそこにある風景"というのは、写真の中だけの話なのでしょうか.
同じ窓からみる風景でも、その日の天気や風の入り方、気分でまったく違う顔をみせます.
誰しもが"思い出の場所"だとか"いつもの景色"といった一枚絵を、胸の内に飾っていると思います. もちろんわたしもそのひとりです.
こうして社会人になった今でも、今は知らない人が住んでいるであろう生家や、母に連れられて遊んだ公園、特別な日だけ暖簾をくぐれたお寿司屋さんと中華屋さんなどを訪れて、心の内の記憶の風景と目の前に広がる現在の風景を比べて、その変化を確認しに出かけることがあります.
もう一昨年の話になるでしょうか.
小さい頃から中華そば屋さんといえばここ、しょうゆ味のらあめんといえばここ、にらいっぱいの餃子といえばここ、季節を問わず味の変わらないおいしい中華料理をふるまってくれるお店のあった風景がかわったのです.
十字路の一角にあった中華そば屋さんは、別のお店の名前の看板が掲げられ、まるでまぼろしだったかのように消えてしまいました.
(実はつい最近でも、よく食べに行っていた日本そば屋さんがあった街の一角も、シャッターがおろされお昼時にあった人の活気もなくなってしまいました)
道行く人には"あの人はなぜやきとり屋さんの前で呆然とたっているんだろう"と思われたに違いありません. でも、それだけわたしにとっては大きな出来事だったのです.
もしかすると、わたしは"思い出の風景"を通して"わたし自身"と対話しているのかもしれません.
もちろんわたしの記憶からその中華そば屋さんが色褪せることはありませんが、目の前の風景からわたし自身を思い出す場所、きっかけを見失うことのように思われて、とてもかなしく感じられるのです.
"諸行無常"、普遍的なものはないのだと、気づかされるのでした.
"いつもある"が"いつもない"になる前に、どうか"ここにある"ことを確認してみてくださいね.