05:Blue Bug living in eyes

昨日の仕事からの帰り道、制服に身を包んだ女の子、高校生でしょうか. バスから降りた後ろ姿を自転車で追い越していく、その一瞬. 彼女の目から流れる水色の線がみえました.

 

泣き虫の虫をわたしは飼っています.

痛い注射やすり傷に泣く子ではありませんでしたが、外的な痛みではなく内面での痛みに"泣いてやるものか"と思っていても、どうしても泣いてしまいます. 芯が弱いものです.

 

わたし自身でもまさかこんなことまで、と思うことでも、気が付くと涙が止まらなくなってしまったこともあります. もちろん、泣いてしまう理由なんてものは、他愛のないものが大半なのですが...

でも、そうなってしまった時はどうしても塞き止められずに、電車に乗っても街中を歩いていても泪を目にためて、本当にその時は泣くこと以外に何もできませんでした.

 

小さい子供の時の方が素直に気も地を吐露できる"感情の塊、そのもの"と思っていましたが、わたしは大人になった今だからこそ、"感情を表にだす"ことが容易くなった、と感じています.

人前で(公衆の場で)顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いたことも、誰の目も気にせずに泣いたこともありませんでしたが、月日を重ねるごとに隠すのがへたっぴになったようです.

 

言葉、難しい言葉では回り道になってしまうとき、頭の中が理詰めで一杯になってどうしようもなくなったとき、感情を堪えずともさらりとでてくる泪.

喜怒哀楽の中で一番好きな感情のひとつかもしれません. いや、もちろんすべてがひとつになってこそ、ですけれど.

04:夢我、夢中

夢の中での出来事を思い出すこと、またその内容を覚えておき続けることは"夢と現実の区別がつきにくくなる"といわれています.

明晰夢(めいせきむ)をみるために、というわけではありませんが、よく既視感(いわゆるデジャヴュ)を体感するため、おのずとその日の夢を文字におこしておくことが多々あります.

 

わたしの夢の記憶たちはいくつかあるのですが、夢の中の登場人物よりもどちらかというと空間、建築、造形といったものを覚えていることが多いです.

細部とはいきませんがカメラのマクロ撮影のように、一つの事象に対してとても距離を縮めた状態でみることも多いです.

 

現在までの夢の記録、記憶としては

・山寺、長く急な石段を上った上に建つお寺。お寺、階段、そしてその山の麓にある城下町(という感覚があるのでいつもそう呼称している。広い道の両脇にお店が並ぶ。よくみる時代劇の城下町なのだけれど、人の気配があまりない。)。石の色は暗く、表面はざらついて、粗い。

・大学、広大な敷地にありとあらゆる階段や駐車場や講堂などの断片的な施設がひとつの夢にでてくる。異なる夢に何度か同じだと思われる施設が、ばらばらにでてきたこともあり、目が覚めて"あの場所は前にも..."と思うこともしばしば. 不思議の国のアリスのように、現実世界ではありえない状態(例:ひとつの教室がとてつもなく広いなど)でみることもある.

があります.

 

今でも覚えている、幼い頃にみた夢があって、おたふくかぜになって寝込んでいた日にみたものです.

夢の中の窓からさす光は明るく、昼下がりのような、でもわたしがうなされて眠っている部屋は暗い. その当時によくいっていたマクドナルドのドナルドに似たピエロが襲い掛かってくる、というものです.

 

最近は仕事が忙しいのか、眠りが浅いのか、あまり夢をみることがありません(みているかもしれませんが、覚えていないのかもしれません)

みたいものを見せてくれる夢は今までにみたことはありませんが、いつかみることができるのでしょうか...

03:ぱんのみみ

ここ数年、"ぱんをたべたい"と思うことが昔よりも多くなりました.

一口に"ぱん"いっても、ぱんはぱんでもたべられるぱんはたくさんあります.

特にわたしが好きなぱん、というのはこっぺぱんとサンドイッチのふたつをさしますが、みなさんはどうなのでしょうか.

 

わたしがよくこっぺぱんを欲したときには、住宅地の一角にひっそりとお店を構える、おじいさんとおばあさん二人で切り盛りしているお店に買いに行きます.

ショウケースにはごく普通の惣菜ぱんたちが並んでいるのですが、よくよく見るとショウケースの奥正面に手書きでかかれた"コッペパン"の文字が.

あんバタ、粒ピーナツ、ホイップ、あんず、じゃむ、カスタードなどの味をひとつ選んで、その場で中の具を塗ってくれる、という手間をかけてくれるお店です.

注文を受けるのはおばあさんの方で、おじいさんに"あんバタ、ひとつ"と声をかけるとおじいさんが返事のかわりに、中の具を塗ったこっぺぱんを手渡してくれるのです.

おじいさんのひと塗りの量を音で表現するならば、どどどど!とでもいえるでしょうか.

こっぺぱんを食べているのか、中の具を食べているのかが一口目ではわからないくらいに中の具をいっぱいつめてくれるのです.

こっぺぱんという軽やかな文字の並びのはずなのに、はさみ終わったぱんを受け取るとおいしさずっしりつまったこっぺぱんしてくれる、そんな素敵なお店です.

 

サンドイッチは"サンドイッチ メルヘン"のふかうら雪人参、ごぼうサラダをよく好んで買いますが、フルーツサンドに目がないわたしは、ついつい食べられないのにあれもこれもと"食事用のサンドイッチとデザート用にサンドイッチ"というよくわからない言い訳をつけて、たくさん買ってしまう悪い癖があります.

フルーツサンド、で一番に思い出されるのが去年の夏頃に京都の知人を訪ねた際に、ヤオイソさんではじめて体験した"果物屋さんのフルーツサンド"です.

白いお皿に行儀よく切って並べられた甘い香りのフルーツサンドたちと出会った時、まるでお子様ランチが目の前にでてきて、手放しにはしゃぐこどものように喜んだ記憶があります.

 

みなさんの、ぱんはぱんでもたべたいぱんはなんでしょうか...