22: この森をぬけたら、どうかわたしのことは忘れてください
もしかしたら、わたしはだいぶ世間一般の枠組みからはずれているところで息をしているのかもしれない. と数年前より肉体的に疲れやすくなった体と相反するような、まだしわのたりない頭の中をみあってそう感じることが多くなりました.
街角ですれ違う人々の発する言葉や目まぐるしくかわる表情. その表情と一瞬だけ相まみえるとき、相手の目にわたしはどのような表情で映るのだろうか、目と目がかちあってお互いをとらえたとき、どのような感情が芽生えるのだろうか. たいていの場合は写真のピンぼけのように、風景の一部として何となく通り過ぎていってしまいます.
人の行き交う場所にある信号機、青になってもすぐに渡らずにひとりひとりの歩幅や方向は違えど、規則的に動き出す「人波」の隅で立ち止まり、その波へ飲み込まれてみると、自分自身が何者でもないものになるのです.
「わたし」と「だれか」との区別がいらない空間へ迷い込むと、「わたし」も「だれか」も「だれでもない」になり、ゆるやかに人とのつながりを曖昧にしてけしてしまいたくなるのです. そうして「わたし」とつながっているものやひとが何事もなかったことにしてしまえばいいと.
正直なところ、はじめて「どうにでもなればいい」と思ってしまったのです.
書きたいから削り始めたはずの鉛筆、気づけば必要以上に細くなった芯が、きもちを文字にする前にぽきり、と折れてしまったような.
そうしたら、わたしはだいぶ世間一般の線引きからはずれているところでひとりになりたがっているかもしれない. と.